早稲田実業初等部
【お受験情報】
◆早稲田実業は、校是として「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を、また校訓として「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)を校是としている。
◆早稲田実業初等部の受験で必ず出題される問題の1つに「躾」に関する内容があります。家庭でのしつけがしっかりなされているかが問われます。
◆早稲田実業初等部では、1次試験で行動観察・筆記・運動の試験を行い、一次試験の合格者を対象に、親子面接が行われる。面接では矢継ぎ早に子供へ質問される傾向が見られる。
◆早稲田実業初等部での特徴的なテストに5人程のグループに分かれて行われる自由遊びがる。協調性とリード力をつけるために訓練が必要だ。
【所在地】
〒185-8506
東京都国分寺市本町1丁目2番1号
電話042-300-2171
FAX042-300-2175
【2008年度 募集要項】
◆募集人員:男女合計108名
◆出願手続:2007年10月1日から2日(書留郵便にて送付)
◆入学試験
●1次試験(考査:行動観察・絵画・個別テスト)
[試験日]:11月1日から11月5日のうち1日を指定
[合発表]:11月7日(掲示)
●2次試験(面接:本人と保護者)
[試験日]:11月8日から11月10日のうち1日を指定
[合発表]:11月12日(掲示)
◆入学手続:2007年11月15日
概要
通称早実(そうじつ)・実業。早稲田大学の系属校である。理事長は早稲田大学総長の白井克彦(2009年07月現在)。学校長は早稲田大学教育・総合科学学術院教授の渡邉重範。初等部校長は多宇邦雄。小中高一貫教育を行い、早稲田大学への推薦入学制度がある。推薦率の向上や共学化に伴って早稲田鶴巻町に所在していた頃より人気が上昇し、首都圏では難関校の一つである。大学への推薦枠は他の附属・系属校とは別に独自の枠として定められ、近年は高等部卒業生総数を上回る。平成20年3月卒業生では総数に対して97%超にあたる者が推薦制度で早大に入学した。他の附属校と比較すると校則が厳しい(校内への携帯電話の持ち込み禁止など)。 校名は実業学校であるが、現在は普通科のみで実業教育は施していない。「早稲田実業高校」の表記が散見されるが誤記である。
沿革
1901年(明治34年)、早稲田大学の前身である東京専門学校が大学としての基礎を確立したころ、早稲田大学の創立者である大隈重信の教育理念を実現し、その建学精神に基づいた中等教育をめざして大隈重信の周囲の者達により設立された。「豊かな個性と高い学力をもち、苦難にうち勝つたくましい精神力を兼ね備えた人物」を育成するために、校是として「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を、また、校訓として「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)を創立当初から掲げてきた。以来、実業界を中心に多彩な人材を世に送り出し、また大正期に入るとスポーツ活動の充実を図り、質実剛健の校風が確立されていった。その後、戦災で校舎は廃墟となったが、関係者の尽力により復興を果たし、第二次世界大戦後の急速な発展を見た。2001年に創立100周年を迎え、それまで早稲田鶴巻町にあったキャンパスを国分寺に移転し、中学部の呼称を中等部に改称した。さらに2002年4月からは、早稲田大学の系列校では初めて中等部、高等部とも男女共学を実施、また、初等部を開設するなど、早実第二世紀にふさわしいスクール・アイデンティティーの構築を目指し、学校改革に取り組んでいる。学校創立前後の経緯については岩波文庫『湛山回想』で石橋湛山による記述がある。1901年 - 早稲田大学の創設者たちにより早稲田実業中学として開校。初代校長大隈英麿。
1902年 - 早稲田実業学校と改称。二代目校長に天野為之。
1907年 - 早稲田鶴巻町に校舎を移す。
1917年 - 早稲田騒動により天野が早稲田大学を去り、早実も大学の傘下から離れる。
1926年 - 早稲田商科学校を併設。
1944年 - 早実工業学校を設置(翌年廃止)。早稲田商科学校は廃止。
1948年 - 学制改革により中・高の六年制となる。高等部第二本科(夜間)は四年制。
1963年 - 「早稲田実業学校の早稲田大学系列下編入に関する合意書」を調印。再び創立時の形態に戻り、早稲田大学の系列に復帰。
1964年 - 普通科を設置。
2001年 - 国分寺市本町の新校舎に移転。
2002年 - 商業科募集停止。男女共学を実施。初等部開校。
部活動
古くから体育系のクラブ活動が盛んであり、多くの部が全国レベルの活躍をしている。中でも硬式野球部は全国高校野球大会(甲子園)に出場45回(夏の選手権大会は第1回大会から出場して27回、春の選抜大会も第1回大会から出場し18回)と全国でも屈指の名門校である。春夏併せての甲子園通算成績は58勝44敗。優勝は1957年春大会、2006年夏の大会各1回。バスケットボール部もインターハイ11回、春の選抜・ウィンターカップ4回出場の名門である。1971年インターハイと1974年春の選抜では準優勝を果たしている。硬式テニス部(男子団体)は全国選抜高等学校テニス大会の第1回大会では優勝を果たしている。
硬式野球部
第88回夏の大会初優勝を遂げた試合のスコア。スコアボードの左上に掲揚されているのは早実の校旗。第89回夏の大会・阪神甲子園球場へ優勝旗返還の為に開会式に参加した早実・川西啓介主将早稲田実業学校高等部硬式野球部は全国高校野球大会に計45回出場している。春の選抜高校野球大会にはこれまで18回出場し、1957年の第29回大会では王貞治投手(現・プロ野球コミッショナー特別顧問)が投打に活躍し、決勝戦で高知商業を5-3で下し優勝している。夏の全国高校野球選手権大会にはこれまで27回出場している。2006年の第88回大会では決勝戦で南北海道代表の駒大苫小牧を引き分け再試合で4-3で下し初優勝を果たした(第88回全国高等学校野球選手権大会決勝を参照)。優勝投手は斎藤佑樹。夏の大会は学校を移転したことや、東京都の東西地区割りが変更されたこともあり両地区から出場。地区予選で旧東京都大会・東東京・西東京ブロックの3大会での優勝は史上初である。2006年ののじぎく兵庫国体では決勝戦では駒大苫小牧と再び対戦し、1-0で駒大苫小牧を下し29年ぶり2度目の優勝を果たし、夏の甲子園大会・国体の2冠を達成した。第1回全国中等学校優勝野球大会(1915年・大正4)に出場した学校のうち、第1回大会で優勝した京都二中、大正期に連覇した和歌山中(現桐蔭)に続いて、第二次世界大戦後では初の深紅の優勝旗を持ち帰った学校となっている。
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